彼女が家族として迎えられたのは7年前の1月のこと。
末娘が二十歳になった時「自分で養うから」と言って
知人のお宅で数匹生まれた兄弟たちの中から
一番優しい顔をしていた(のんびり屋の)彼女を選び
以後、世話だけではなく食費や医療費全ての費用を娘が負担しながら
我が家の人間や猫たちと仲良く一緒に暮らし始めたのでした。
間もなく七歳を迎え、来月嫁に行く娘と一緒に新居で暮らし始めようとしていた矢先
まさか、まさかこんな事が起きようとは誰も思っていませんでした。
土曜の夜に入院して日付が変わった頃には容態が急変、
必死の延命処置もむなしく彼女は息を引き取ったのです。
あまりにも急すぎる出来事で、誰もがすぐには現実を受け入れられずにいました。
けれども、病院で用意された大きな白い箱に納まった彼女を引き取り
家まで連れて帰ってから、ほのかに体温の残った体を撫でているうちに
もう決して目覚めることのない彼女の死が、リアルに指先から伝わって来たのです。
居間に冷房をかけ、ドライアイスを継ぎ足しながら
大好きな玩具や餌を添えて、一昼夜は家で休ませてあげました。
そして今日、瀬谷のペット火葬場へ赴き葬儀を済ませ
小さな骨壷となって彼女は我が家に帰って来ました。
家に帰る途中、娘と一緒に引っ越す筈であった新居に立ち寄り
彼女にも明るく大きな室内を見せてあげたので
きっと安心して旅立って行ったことでしょう。
飼い犬の死は、飼い主の厄や災いの身代わりだと聞きます。
嫁いで行く娘のために、身を挺して何かから守った結果なのだとしても
まだ人生の半分も生きないうちに突然逝ってしまったことが
あまりにも不憫で悲しくて仕方ありません。
帰宅してから、彼女の写真を整理してみました。
様々な思い出が蘇ります。
たぶん我が家は彼女を中心に生活していた、
そう思えてくるのです。

娘の成人式の日。
さすがにまだ子犬、肉球もピンクでぷにょぷにょしていたことを思い出します。

のんびり屋さんとは言っても
(一応)ボーダーコリーですから
親ゆずりの俊敏さは多少なりとも受け継いでいます。
素早く動くボールに対しては、たとえそれがTV中継のサッカーボールであれ
プロ野球中継でピッチャーが打者に投げ込んだ球であれ
はたまた、バレーボールの強烈なスパイクであれ
どんぴしゃのタイミングでブラウン管に突進して行ったものですから
大事な試合のゴールや三振の瞬間を幾つも見逃しました。
家の中でも屋外でも、球に食らいつくのは得意でしたしね。

我が家へ来て1年くらい経った頃でしょうか。
もう立派なお姉さまに成長してます。

猫たちとも共存できてました。
特に仲良しだったのが白猫の「のんたん」
一緒に寝ている姿をよく見かけましたが
本人たちは姉妹だと思っていたのかも知れません。

孫の翼が一歳半くらいの頃、かな?
この時期は(サイズからして)犬の方に権威があったようですが
近頃では(大きくなった)孫に遊ばれるようになりました。
翼の弟、よちよち歩きの(子ギャング)輝に毛を引っ張られても
ただじっと我慢してたり、お姉さんの風格すら感じられます。

一緒にDLへ出掛けたこともありました。
でも顔を合わせたのは行き帰りだけ。
昼に預けられ深夜閉園するまで一人ぼっちだったので
みんなの顔を見るなり一目散に駆けて来て飛びつかれました。

とにかく、優しい目をした可愛い子だったんです。
表情や仕草で心の内が読み取れるような、そんな子でした。
飼い主である娘に叱られると、半べそをかきながら
目にいっぱい涙を溜めて僕や女房の傍へ来て娘の顔色を伺っていたものです。

けれど、やっぱり犬には違いありませんから
郵便配達や宅配、検針などで敷地内にやって来る外部の人間には
家の中から猛烈に吠え立てて、一応?番犬風な任務には就いていました。
その声が、今はもう聞こえません。
朝の3時頃にやって来る新聞配達のお兄さんも
ここ数日吠えられないので不思議に思っていることでしょう。
静かです。
外の物音や来客に吠える大きな声も聞こえなければ
甘えて尾っぽが千切れんばかりに振りながら鼻を鳴らす声も
今は何んにも聞こえて来ません。
この不思議な感覚の日常に慣れるまで、どれくらいの時間が掛かるんでしょう。
今でもリビングへ行くと「あれ?フェアリーは?」と、
居る筈もない彼女の姿を探したりしてしまいます。

尻尾や爪の小さな骨をカプセルに入れてもらいました。
寂しがりやの彼女ですから、いつも一緒に居てあげようと思うんです。
フェアリー、披露宴も二次会も、連れて行ってあげるからね。
娘のこと、これから先も見守っていてくれよ。
天国のフェアリーへ。。

2010年10月17日永眠