朝起き抜けに、水を一杯飲もうと2Lのペットボトルからグラスに注いでいると、
右の骨盤のあたりにピリッと傷みが走った。
おや?と思った次の瞬間、右足を動かそうとすると鈍い痛みがある。
ああ・・やっちまったのか。
ぎっくり腰とまでは行かないまでも、立ったり座ったりする動作がぎこちない。
これも車ばかりで歩くことがすっかり無くなってしまったことへの罰なのか。
今日は予定を全て取りやめて、椅子に座ったままPCに向かうだけの一日となってしまったが
おかげで?Ommoの1年と2ヶ月に及ぶ膨大な字数の「著書」をようやく読み終えることが出来た。
明日からは(安心して)日々更新される日常の記録に目を通せるというものだ。

昨夜ベッドに横になってから、71年の出来事を思い出していた。
音楽舎(URCレコード所属ミュージシャンの音楽事務所)を訪ねた時のことだ。
はっぴいえんどや遠藤賢司、高田渡、友部正人、加川良、三上寛などなど
マイナーながらも優れたアーティストのマネージメントを一手に手掛けていた事務所で
おぼろげな記憶では、確か原宿辺りに在ったのだと思う。
はっぴいえんどが「風街ろまん」をリリースする直前くらいの時期に
当時マネージャーをしていた如月さん(たぶん)とそこで会うことになり
デモで録った音質の悪いテープを持参して「売り込み」に行ったのだが、
いい音で録り直してからもう一度聴いてみようということになって
新宿の御苑スタジオを押さえてもらい、後日のレコーディングの日程がその場で決まった。
おそらく・・おそらくではあるけれど
その20畳ほどもありそうな伽藍と広いスタジオは、URCレコードの何人ものミュージシャン達が
リハーサルやアレンジ作業で利用していたに違いない。無論、はっぴいえんども。
そう考えると、そこは僕にとっての「聖域」だった。
ギターとボーカルにセットされたコンデンサー・マイクとパイプ椅子だけが置かれた広い部屋で
ミキサールームの大きな硝子窓に向かって僕は数曲を歌った。
何かが降りて来る、そんな得体の知れない感覚に包まれながら気持ち良く歌えた記憶がある。
その時の音源はオープンテープで僕の部屋のどこかに仕舞い込んである筈だけれど
40年近く前の物だから、今頃は磁性粉がベタベタになって再生するのは難しいだろうな。
デモ・テープが如月さんの目には留まったようだったが
「風街ろまん」のリリース以降、はっぴいえんどのマネージメント業が忙しくなったからか
無名の新人のことは忘れ去られてしまったようでもあった。
それから間もなく、彼は音楽舎を離れ「如月ミュージック」を創設した。
良い結果は生まれなかったけれど、URCレコードや音楽舎との関わりは
その後のキャニオン・レコード発足前夜のニッポン放送スタジオでの思い出よりも
リアルタイムでミュージック・シーンの中心に居た分、僕にとっては貴重な財産となった気がするのだ。