2009年07月10日

Paint it Black

そもそも僕は、家ではあまり楽器を手にしない。
むしろパソコンに向かっている時間の方が長いくらいで
よほど気が向いたとき以外、ギターはスタンドに立て掛けられたままだ。
じめじめした梅雨の季節の今時分はなおさらのこと、
湿気に弱いアコースティックは、弾いてもろくな音が出て来ない。
心を掻き立て歌い出したくなるような「いい音」に触れない限り
僕の脳味噌は、音楽とは懸け離れた辺りのことを思い浮かべながら右往左往しているのだ。

今日、HPを模様替えした。
http://kazura1952.web.fc2.com/

暑い夏に向けて涼しげな色合いにでもしてみようかとも思ったが
結果は黒背景、やはりこれが僕には似合っているようだし
なまじ気取って、明るい色合いにしてしまったりすると
レイアウトやデザインにかなり気を遣うことにもなって作業が大変になる。
黒く塗ってしまう方が、根気も要らずお手軽なのだ。

なので今夜は、Rolling Stonesの「Paint it Black」
1966年の映像と



2007年?の映像で。




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2009年07月08日

腰痛よさらば

今日は普通に立ったり座ったり、歩いたりできた。
故にお仕事もフルタイム。
全治四日の軽症で助かったあ・・

ClaptonFlyerLarge.jpg

J.J.CALEの2006年のアルバムをご紹介。
旧知の仲であるクラプトンとの共作。
http://www.rosebudus.com/cale/RoadToEscondido.html

この後、今年の2月に「Roll on」をリリースして、こちらもまた良き按配。
http://jjcale.com/

オクラホマ・・タルサ・・
Rockは野菜や果物と同じように
土壌が大切なものなのさ。


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2009年07月07日

無理は禁物

仕事には行った。
行くには行った。
そうそう休んでいるわけにはいかないのだ。
けれど2、3時間も経たないうちに
腰が痛み出し、おまけに背中までが張ってきてしまい
無理は禁物とばかりに堂々と?早退して来た。
明日はフルタイムで働かなければ・・な。

s.jpg

スティーブン・スティルスの声もまたいい。
彼の弾くMartin D-45の音にも憧れた。
Rockなアコギの音というのは、芯が通っているものだ。

d.m.jpg

デイブ・メイソンも然り。
喉の辺りでチリチリと鳴っているような
一歩間違えばノイズにも成りかねない
そんな際どい声の持ち主の歌が大好きだ。

綺麗でべたっとした声にはまるで興味が湧かない。
乾いてなくちゃ、ね。


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2009年07月06日

続・放浪 

腰痛が治まらないので今日は仕事を休んでしまった。
外は朝から雨、別段やることも無いのでPCに向かうことにする。
いやなに、ちょっと時代を遡ってみようかと思ってね。

70年の春、札幌で一人住まいを始めた頃、
六畳ほどの何も無い部屋にもギターとオーディオだけは在った。
その頃の愛聴盤が、はっぴいえんどの「ゆでめん」とビートルズの「ホワイト・アルバム」
昼下がりのアパートの窓際で、よく聴いていたことをふと思い出した。

72〜3年頃だったろうか、地元でライブの興行を始めていたOmmoに誘われ
その頃移り住んでいた東京から、帯広市民会館で催されるライブに出向いた。
音楽舎の面々(友部正人や三上寛が一緒だった気がする)の前座として呼ばれたのだ。
往復の飛行機代がギャラとして送られて来たのがとても有り難かったけれど
残念だったのは、そのライブが本来はっぴいえんどを招くつもりだったものが
音楽舎のマネージャーから(たぶん如月さんだろうな)「アルバムとは異なり、はっぴいえんどの生はお勧めできない」とオファーを断られ、代わりに?数名のミュージシャンをセットした内容に変わってしまったことだった。
当時都内の大学祭で、はっぴいえんどと遠藤賢司のステージを間近で見たことはあったにせよ
憧れのミュージシャンとの「共演」ともなると、これは全く次元の違う話になるからだ。
やや気落ちしながらも、羽田から(大嫌いな)飛行機に乗って帯広へと向かう。
当時の直行便は、乗員数50名ほどのターボ・プロップ機YS-11でのフライトだった。
日高山脈の上空では、乱気流で激しく揺れたり500mほど一気に降下するエアポケットに悩まされたもので、たぶんこの恐怖体験が僕を(大の)飛行機嫌いにしたのだろうと思う。

しかしながら・・
不思議なことに、この日の自分のことは何も思い出せない。
楽屋でのことも、どんなステージだったのかも、全く記憶に無いのだ。
覚えているのは、帯広空港でギターケースを受け取った時に取っ手が壊れて外れていたことと
打ち上げの居酒屋で、黙して日本酒を飲む友部正人の姿だけだ。
この断片的な記憶しかないことは、その頃のOmmoの期待や厚意に背くようで何だか恥ずかしい。

覚えていたことがもうひとつある。
その時にOmmoから教えてもらったアルバム、J.J.CALEの「リアリー」だ。

jj.jpg
J.J.CALE

ギターもボーカルも渋すぎる。
シャウトすることも無く、呟き声のように歌っても、伝わって来る物の凄味に驚かされ
東京に戻ってからもう一度自分のスタイルを見つめ直してみようと思っているうちに
いつしか行き先を見出せなくなって、突然歌うことを止めてしまう要因にもなったミュージシャンなのである。
南部男丸出しのトニー・ジョー・ホワイトの太い声とワウ・ペダルにも憧れたものだが
J.J.CALEの、ややぶっきらぼうなギター・プレイと繊細な声には強く影響を受けてしまった。
ブルースがそうであったように、「多くを語らぬ男としての格好良さ」に惹かれたのだ。
それは今でも変わっていない。

tj.jpg
Tony Joe White


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2009年07月05日

放浪

朝起き抜けに、水を一杯飲もうと2Lのペットボトルからグラスに注いでいると、
右の骨盤のあたりにピリッと傷みが走った。
おや?と思った次の瞬間、右足を動かそうとすると鈍い痛みがある。
ああ・・やっちまったのか。
ぎっくり腰とまでは行かないまでも、立ったり座ったりする動作がぎこちない。
これも車ばかりで歩くことがすっかり無くなってしまったことへの罰なのか。
今日は予定を全て取りやめて、椅子に座ったままPCに向かうだけの一日となってしまったが
おかげで?Ommoの1年と2ヶ月に及ぶ膨大な字数の「著書」をようやく読み終えることが出来た。
明日からは(安心して)日々更新される日常の記録に目を通せるというものだ。

urc.jpg

昨夜ベッドに横になってから、71年の出来事を思い出していた。
音楽舎(URCレコード所属ミュージシャンの音楽事務所)を訪ねた時のことだ。
はっぴいえんどや遠藤賢司、高田渡、友部正人、加川良、三上寛などなど
マイナーながらも優れたアーティストのマネージメントを一手に手掛けていた事務所で
おぼろげな記憶では、確か原宿辺りに在ったのだと思う。
はっぴいえんどが「風街ろまん」をリリースする直前くらいの時期に
当時マネージャーをしていた如月さん(たぶん)とそこで会うことになり
デモで録った音質の悪いテープを持参して「売り込み」に行ったのだが、
いい音で録り直してからもう一度聴いてみようということになって
新宿の御苑スタジオを押さえてもらい、後日のレコーディングの日程がその場で決まった。

おそらく・・おそらくではあるけれど
その20畳ほどもありそうな伽藍と広いスタジオは、URCレコードの何人ものミュージシャン達が
リハーサルやアレンジ作業で利用していたに違いない。無論、はっぴいえんども。
そう考えると、そこは僕にとっての「聖域」だった。
ギターとボーカルにセットされたコンデンサー・マイクとパイプ椅子だけが置かれた広い部屋で
ミキサールームの大きな硝子窓に向かって僕は数曲を歌った。
何かが降りて来る、そんな得体の知れない感覚に包まれながら気持ち良く歌えた記憶がある。
その時の音源はオープンテープで僕の部屋のどこかに仕舞い込んである筈だけれど
40年近く前の物だから、今頃は磁性粉がベタベタになって再生するのは難しいだろうな。

デモ・テープが如月さんの目には留まったようだったが
「風街ろまん」のリリース以降、はっぴいえんどのマネージメント業が忙しくなったからか
無名の新人のことは忘れ去られてしまったようでもあった。
それから間もなく、彼は音楽舎を離れ「如月ミュージック」を創設した。

良い結果は生まれなかったけれど、URCレコードや音楽舎との関わりは
その後のキャニオン・レコード発足前夜のニッポン放送スタジオでの思い出よりも
リアルタイムでミュージック・シーンの中心に居た分、僕にとっては貴重な財産となった気がするのだ。


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